四苦八苦

お釈迦様 日常

「しくはっく」と読みます。

まあ皆様、ご存知ですよね。

この言葉は仏教用語から、日常的に使用されるようになったそうです。

最初の「四苦」は、有名な「生・老・病・死」という意味です。

私はもう10年以上、古い仏教(インド発祥あたりの)を、個人的に勉強したり調べたりしながら楽しんでまいりました。(学校に行ったりしたわけではありませんので、間違っているかも知れません)

そこで私が感じた内容を、少しだけですが、こちらで書いてみたいと思います。

きっかけ

きっかけは、あるYouTube動画でお一人の僧侶の方が「 生・老・病・死 の「生」は生まれてくるときの産道を通る苦しみ」と仰っておられたので、その見解はちょっとどうなんでしょうか?と、思ったからでした。

確かに四苦に中の「老・病・死」 はイメージしやすいですよね。

私たちが日常で感じる「苦しみ」とか「苦痛」と直結しているように感じます。

でも「生」は喜ばしいことですよね。なのに何故、「四苦」の中に入っているのでしょうか。

「苦」の意味

昔のインド社会の宗教の中で語られた「苦」とは、私たちのイメージする「苦痛」の事ではないようです。

それでは何かと言いますと、「思い通りにならないこと」という意味なのだそうです。

老苦(ろうく)・・・歳を重ねて行くと身体の老化は避けられません。(自分の願いではどうにもなりません)

病苦(びょうく)・・・誰でも病気なんかいやですよね。皆さん健康でいたいです。(自分の願いではどうにもなりません)

死苦(しく)・・・永遠に生きれるなら生きていたいです。少なくとも私は。(自分の願いではどうにもなりません)

つまりこれらが、思い通りにならないことであり、古代インドの方々が感じた、または信じた「」なのです。

そして、イメージしにくいのが「生苦(しょうく)」です。

古代、バラモン教

古代のインドでは仏教が広まる以前(紀元前1500年頃から)、バラモン教という宗教が社会で生活する上での根っこになっていました。戦争をするにも農作物のタネをまく時期も、すべての基本は宗教で決まっていたわけです。

そしてこのバラモン教は「雨」や「雷」や「台風」のような、人に恵みを与えたり、災いを与えたりする自然現象を「神様」として敬っていました。

またそれらの神様を鎮める儀式として「火」や「水」を扱い、天・地・太陽・風・火などを崇拝するための儀式を捧げ、それらの神様を祀ることによって自然災害を免れ、幸福がもたらされると信じられていました。

社会の中でこれらの儀式がいかに重要であったかは、古代のインドにおける資料によって明らかにされています。

上のイラストはシャーマン(アメリカインディアン?)のものですが、古代インド社会ではこのシャーマンにあたる立場の人のことを「バラモン」(司祭階級)と呼んでいました。

「バラモン」は王族や貴族よりも偉く、古代インド社会の頂点に立っていました。

頂点とは人々を支配する階級のことです。

カースト制

有名な「カースト制」はこのころから存在し、世襲や家系、血統によって固定化されていました。

バラモン教の経典は「ヴェーダ聖典」と呼ばれ、主に4つの種性(しゅせい)に、人々の身分を厳格に分けることになっていました。

この種性のことを「ヴァルナ」と言います。簡単に言いますと、人間に階級を設けて統治したという事ですね。

そして、一番上のヴァルナが「バラモン」です。

バラモンは社会の頂点にあり、司祭階級であり支配階級でもあります。

二番目が「クシャトリア」です。

クシャトリアは、王族・貴族・武人(戦士)でありました。(バラモンは王族より偉いのです)

三番目が「ヴァイシャ」です。

ヴァイシャは庶民階級で、商工業者、手工業者、農民、牧畜などの生産者でした。

四番目が「シュードラ」です。

シュードラはヴァルナの最下層で、奴隷化された「先住民」と言われています。のちに農民もシュードラに含まれてしまうことになりました。

ここで「あれっ?」って思いません?

「先住民」って何?

となります。

実はバラモン教は、発祥が中東周辺であると考えられているアーリア人が、古代インドに侵攻し、後に支配した結果、広まった宗教とされています。

もともと古代のインドに住んでいたドラヴィダ人と呼ばれる人々は、まだ国力の弱い古代インド時代に、アーリア人によって支配されました。

その結果、アーリア人の宗教であるバラモン教がインド社会に定着してしまった歴史があるのです。

当然、上位階級はすべてアーリア人が支配しており、更に世襲が基本の為、ドラヴィダ人がどんなに頑張っても、バラモンやクシャトリアにはなれませんでした。

輪廻転生

そして実はバラモン教の経典の中に、仏教でもおなじみの「輪廻転生」が存在します。

「輪廻転生」とは「生命は永遠に生まれ変わる」ことを、当然の事実として受け入れましょう。という教えです。

仏教における輪廻転生とは、古代インドのバラモン教の教えの時代から、古く長く引き継いできた考え方だと説明することもできます。

輪廻転生は永遠に続く「苦」であると考えられ、その輪廻の「輪」から抜け出して、双六の「あがり」のような、穏やかなる天上界の暮らしを手に入れることこそが、最も価値のある幸せであるとされていたわけです。

生まれてくることは「お祝い」であり、喜ばしい事であることは間違いないのですが、ある意味、宗教上の都合によって「生」は無理やり「苦」になったとも考えられます。

つまり生まれる苦しみとは、輪廻の輪から抜け出せていないことを意味しており、また厳しい階級制度は、どの階級の家に生まれるかを自分で決めることが出来ません。

下層階級の奴隷に生まれてしまうかも知れませんし(思い通りにならない)、もしかしたら人間以外の動物や昆虫などに生まれるかもしれないのです。

このことが、「四苦」の中の「生苦」、つまり次の世でどのように生まれてくるかは、自分で決められるわけもなく、「生」は思い通りにならないのです

このことが「生苦」になっているわけです。

生きている幸せ

思い通りにならない苦しみを「苦」と感じるか否かは、個人的見解は様々なのでしょうが、今の日本に古代インドのような厳しいカースト制度が無くて本当に幸せだなぁ、と思っております。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のなかで描かれているような、「天国」といいますか「浄土」といいますか、そのような世界が本当にあるかどうかは分かりませんが、閻魔様に厳しいお裁きを受けないように、なるべく平穏な心で毎日を暮してまいりたいと願うこの頃です。

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